日の当たるところへ

小説家を目指して。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」って、人間関係で悩む人にも言ってほしい

 人間関係と転職に挟まれて悩んでいた私には、こんな本がネットで話題になっていたなんて知る由もありませんでした。

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 

・広告デザイナーだった著者が飛び降り自殺を考えて踏み止まり転職

・原因は過労で、後に同僚や上司も独立・転職

・同じように過労で悩む人に取材した上で精神科医と対談

精神科医からQA形式でどうすればいいか解説

 

…読んでみた結果、なるほどなぁと思うと同時に、ちょっと切なくなりました。

 

過労の問題には、尋常でない量の仕事と残業時間が取り上げられますね。

この本でも180時間等、恐ろしい数字が書かれていました。

 

でも労働の問題って、過労は重視して取り上げてくれるのに

職場の人間関係はあまり見てくれないと感じます。

 

残業が無くて土日祝休みって聞いたら、皆憧れると思う。

私もそれで事務員になっているので、人のことを言えた義理ではない。

でも、私はそれでもつらいです。

そして同じようにつらいという人も、中にはいると信じています。

 

これだけ広い世の中、色々な見方と考え方があってもいいと思うのですが

人間関係がつらいと言うと、それだけで「甘え」と言われます。

そういう「甘え」を相談すると、頭ごなしに「弱い」というだけで終わってしまいます。

 

これって多分、学校にも言える。

学校は、その地域にもよりますが時間が決まっていますね。

朝礼で始まって1時限目~6時限目かな。

その中で学習して、お昼を食べて、また学習して、帰るか部活動。

その繰り返しの中で、生きていくのに必要最低限な知識を学ぶ。

 

でもそれが、つらいと思う子もいる。

つらいと言って、死んでしまう子もいる。

死んでしまった子に対して、人は「死ぬくらいなら…」とお決まりの台詞を言う。

いじめにしろ家庭内の事情にしろ、相談したら人はそれを「弱い」「甘え」だという。

でも「弱い」を変えようとすると、心身に負荷がかかる。

それで「弱い」「甘え」がつらくてしかたなくて、相談すれば一時は慰めてくれる。

けれど最終的には「もっと強くならないと生きていけない」と言われて

居場所がなくなる。

勿論それが死ぬ理由の全てではないけれど、当てはまる人は多いと思う。

そして居場所がなくなった末に死んだら、みんな「死ぬくらいなら」と言う。

どうしたらいいのか分からなくなりますね。

 

そしてそういう人が求めている居場所は、こんなに情報技術が発達して

共有できるようになった現代の波にもなかなか見当たらない。

 

このブログの記事が、そういう人の居場所になると、はっきりとは言えないけれど

検索に引っかかって、悩んでいる人の目に留まって、少し楽になってくれたら

何か感じてくれたら嬉しいなとは思います。

 

内向的で明るく振る舞うと疲れてしまったりするのも

人付き合いや人間関係でどうしても悩んでしまったりするのも

それが私だから。

指南にも道標にもなれなくても、その心にある孤独感や悲しみが、寂しさや虚しさが

誰かからは「それじゃだめだ」と言われるかもしれないけれども

ここでは、ここでだけは「それでもいいんだよ」と、お伝えできればなと思います。

そんな記事。