日の当たるところへ

小説家を目指して。

筆を置いた私へ

 筆を置いた私へ

 まずは、お帰りなさい。帰ってきましたね、この白いメモ帳の前に。いつでしたっけ、もう二度とこのメモ帳を見ないと誓ったのは。
 小説など書かなくたって生きていける。ただの趣味だ、つらいならもう、書くのはやめよう…そう言って書いた小説を全て捨てたのは、つい半年くらい前のことでしたね。
 私はただの一般市民です。しいて格を表すなら、おそらく下の下くらいでしょうか。平成という元号が表す通り、戦争が終わり平和が訪れ、物にも恵まれた、豊かな環境で育ちました。
 恵まれた環境のおかげか、私は『物を創る』ということの大変さも知らずに生きてきましたね。昭和に生まれた両親の口伝しか知らない私は、生きるということがどれほどにつらいのかも、頭の中でしか理解出来ません。だからでしょうか、夢を追いかけたくなりました。
 そう、最初に捨てた『作家になる』という夢です。そんな夢を見たのはいつでしょうか、確か小学生時分でしたか。
 私は最初、本を読むことが好きでした。平仮名で読みやすい絵本から、穏やかな挿絵つきの童話から、漢字の混じった小説…と、次第に移行していったのを覚えています。最近はあまり読んでいませんね、そんなに意識しなくてもいいけれど、少しは読んでみましょうか。
 とにかく、そうして少しずつ文章と触れ合ってから、小学校三年生の時には小説を『読む』側から『書く』側になっていましたね。と言っても、一から全てが自分の物語ではなく、当時流行っていたゲームやアニメの設定に、少し味をつけた程度のものでしたが。
 平成生まれではありますが、私が小学生の頃でもパソコンと言うものは、まだまだ大人の仕事道具でしたし、現在のようにインターネットを扱えるのが普通という時代ではありませんでした。その為、シャープペンシルを使って、親から買って貰ったノートと、それが無くなった時にはレトルト食品の箱を解体した物を裏紙に、ざっと好き勝手に書き連ねていたものです。これが不思議と飽きない物で、いつしか紙=小説を書くための原稿になっていました。
 どんな感情が、そんなに私を動かしたのでしょう。また少し、遡ってみましょうか。
 記憶に残っているのは、小学校二年生の頃。家でも学校でも、自宅に置いてあった漫画やゲームの登場人物の真似をして、一人でいる時はいつも台詞を声に出していたので、周囲に驚かれていたのを覚えています。今思い返してみると、こんな子供でも何も言わずに見守ってくれたその先生は偉大だなと、しみじみ痛感しています。
 私はそう、空想することが好きだったのです。自分で書くのも恥ずかしながら、知識を遥かに凌駕する想像力で、容姿から声から性格まで人物を形作っていき、壮大な物語を思い描いて、それに沿って人物を動かすこと…自分が創造した自分だけしか知らない世界で、自分が想像した一人一人が生きているということの感動を、本能で覚えてしまったのですね。
 その時から私は、現在も空想と共に生きています。頭に浮かべた空想を、文字にすることが堪らなく好きでしたから。書き終えるまで暫く退屈することもあり、書き終えずにしまいこむこともありますが、書き終えた時の達成感は何にも代え難いものです。
 …さて、話がだいぶ逸れましたね。本題に入りましょう。
 何故、私はそんなにも好きな夢を最初に捨てたのでしょう。何故、私は筆を置いたのでしょう。何故、筆を再び手に取ったのでしょう…まずは、最初に夢を捨てた理由を思い出してみましょうか。
 好きな夢を最初に捨てたのは、これもやはり小学生の頃でした。時期がいつだったか定かではありませんが、捨てたのは『安定した収入が得られない』という理由によるものでした。小学生にしてはひどく冷めていますが、お世辞にも裕福とは言い難い家庭でしたから、まあ無理はありません。
 収入の面を、今は気にしていないと言えば嘘になります。小学生の頃から抱えている問題ですから、不安に怯えて泣きたくなります。そしてその不安は、私の将来のことではありません、家庭のことです。高齢になり、いつか介護が必要になってくる両親や家を養うことを考えると、自分の腕のみに頼るこの職業は非常に不安定です。現実を考える程、選択肢からは外れていきます…私もそうでしたから。
 …筆を置いた理由の前に、筆を手に取った理由を言いましょう。これは簡単なようで、物凄く難しいですね。
「それでも私は書きたかったから」
 物に恵まれた豊かな時代、職業も多種多様に増えました。雇用や労働の面では課題も多くあれど、それでも最低限の収入を得る方法も、昔に比べて多くなったことでしょう。
 けれど作家は、昔から変わりません。振り向かれなければ無収入のままで、得てもその場しのぎです。次にはまた稼ぐことを考えて、自ら動かなければなりません。何をどうしようが仕事です、自分の思い通りにいかないことも多々あるでしょう。書きたい意欲と稼がなければならない現実の壁に、心が折れるかもしれません。
 私は心身共に弱く、すぐに泣き言を漏らします。能動的とは言えず受動的で、性格も内向的です。つらいことから目を背け、すぐに逃げたがります。だからずっと目を背けていたのです、本当にやりたかったことから。
 私は私にしか出来ないことをやりたいと思いながら、その辛さや痛みを味わうのが嫌で逃げていたのです。周囲からの伝聞を真に受けて、そこに進めば後悔するという恐怖と、常に闘うことを避けていました。
 迂回して待っていたのは、地獄です。
 安易な気持ちでITの道へ進もうとして情報系の専門学校へ行き、少し齧っていたからとWebデザインの科を選び、HTML以上に高度な技術についていけず、いつも泣いて帰ってきたものでした。やがて一年で中退した私は、収入源を確保する為に地元でスーパーのアルバイトを二年間続け、母親の助言で『事務員』を目指そうと資格を取りました。

 何の資格かはここでは割愛しますが、その資格を取得したからと言って、すぐに職につけるわけではありませんでした。資格が悪いというわけではないのです。男女ともに『事務』という職業は非常に人気が高く、競争倍率も高いので、専門学校を中退したような素人には最初から敵わなかったのです。
 そうして4か月程の空白があった末に、泣く泣く母の紹介で短気の派遣を勤めました。官公庁の委託業務でしたが、その派遣も翌年の年度末には契約満了となってしまいます。奮起して再び就職活動を始めておよそ七か月後に見つけた別の派遣会社の事務も、一年と九か月ほどで契約満了となってしまいました。
 この事務の経験が齎したものは大きく、それ故に苦しみました。生活の為と進んだ道は『私』という軸を、あっという間に不安定なものにしたのです。空白が多いのも、不安定になった私の甘さです。
 この事務という仕事は、確かに収入は安定していて、体力的にも楽です。業種にもよりますが多くは土日休みで、祝日や年末年始も休暇が取れる。机に座っている作業が多いので、外を出歩くのはちょっとしたお使いか、ほぼ通退勤のみです。
 ですが私には、この事務という職業が苦痛に感じられました。どうして人気なのか、今も疑問が消えません。この原稿を書き綴っている今日も、事務職の窮屈さに憤っています。
 事務職は、職場と言う牢獄の中にずっといなければならないのです。男女問わず家政婦のように細かな気配りが必要で、何故か母親が子供を叱咤激励するように営業の尻を叩かなければならず、大和撫子となってお局に従わなければならない一方で、時には客にもぴしゃりと厳しく発言出来る人間でなければならないのです。
 なんと難儀な仕事でしょう。恐ろしい職業でしょう。
「事務の仕事は誰にでもできる」
 耳に胼胝が出来る程に何度も聞きましたが、本当にそう思いますか。私は違うと答えたいです。
 来客や電話といった業務の内容は確かに教われば出来るでしょう。それでも克服出来ないものは確かに存在していて、その大半は人間関係だと言えます。
 人間関係は、社会では避けては通れない壁だと理解しています。自分一人で出来ている社会ではありません、ましてや今はどの企業も、コミュニケーションを重視しています。企業に属する以上はあって当然の壁かもしれません。いえ、属さずともそれはお金を稼ぐことの基本です、お客様の存在しないビジネスはありませんからね。
 ですが私は不器用で、人付き合いが下手です。最初のうちはにこにこ笑顔で明るく接することが出来ますが、後から疲れてきてしまいます。だから人と接する業務はこなせても、四六時中の人間関係だけはどうしても対処が難しいのです。
 事務職は、コミュニケーションが全てです。一日中、屋内にいるのですから。昼休憩の時間でも自ら集団の中に混じり、溶け込もうとし、時には纏めあげなければならないのです。
 さて、私はどうでしょう…集団を纏めるのが得意ですか。自ら輪の中に入り、溶け込もうとしたいですか。お茶を飲みながら、職場の営業がだらしないと愚痴りつつ他愛ない世間話に花を咲かせたいですか。
 いいえ。いいえ、そんなことをするくらいなら、一人で静かに大好きなカフェラテを飲んでいたい。ほっと一息吐きつつ、スマートフォンで世の中の情報を仕入れたい。時にはぼうっと外の景色を眺めていたい…一人で過ごすことが、大好きです。だから事務職はつらいのです。
 仕事後の帰り道、私はずっと泣いていました。人目も憚らず、嗚咽を抑えながら溢れてくる涙を、ハンドタオルで拭っていました。実家で泣きながら愚痴を零したのも、つい最近のことです。
 世間一般では楽と言われる事務職が、私にはこの上なくつらく、嫌で嫌で仕方なかったのです。要領も悪く、最初のうちしか笑顔でいられない私には、接客など論外です。
 人はこんな私を、砂糖より甘いと言うかもしれません。水飴ばかりの栗金飩のように、見飽きた今時の甘ちゃんかもしれません。ええ、頭では理解しています、それが甘いということを。
 人付き合いが苦手でも、仕方なく仕事としてこなしている人も多くいます。大半の社会人は腹の内にぐっと堪えて、我慢を重ねているのだと重々承知しています。媚びへつらって笑ってなんぼの世界だとも教えられてきましたから。
 けれども、仕方がないではありませんか。つらいものはつらいのです。通勤する途中で堪えきれず、涙が出てくるほどにつらいのです。いけないことと分かっていても、イヤホンを装着して音楽を流し、現実から逃れて歩かねばならないほどつらいのです。
 少しでも意識を逸らさなければ、顔を歪めて泣き出してしまうほどつらいのです。それが私なのです、世の中に同じ人は一人といません。これが私なのです、この弱さこそが、私が私である所以なのです。
 それでも仕事は仕事です。仕事をして稼がなければ生きていけないし、だからと言って人付き合いが上手なわけではありません。
 ではどうしたらいいのだろうと、そのつらさを乗り越える方法を考えたときに、ふっと浮かんだのです。
「同じつらいでも、苦手な仕事をしていると実感できるつらさと、好きな仕事をしていると実感できるつらさのどちらが良いのだろう」
 延々と考え続けた結果、私が辿り着いた答えは後者でした。
 好きなものが嫌いに変わるかもしれない…という不安、怯えは、まだあります。今まで私はずっと恐れて、そこからずっと目を背け続けていました。やる前から諦める、という選択をして。
 だから知らないのです、同じくらいの楽しさもあるかもしれないということも、今以上につらいかもしれないということも。全てが未知数なのです。夢を叶えて生きていけるかもしれないという理想が、ずっと消えずにいるのです。
 心が折れずにいられることは、無いでしょう。何処かで挫折するかもしれません。その時が私には怖いのです。
 でも挑戦せずに逃げていた私、目を背けていた私を思うと、一歩踏み出してみたいとも思うのです。怖いと竦んで、機会を逃して途方に暮れるのはもう嫌なのです。
 自分の人生だと、何度も母から助言を貰っている私です、成功する為の努力を出来るだけしましょう。失敗して学んでみるのも、いいと思いませんか。
 思えば私が筆を置いた理由も、そんな挫折からでしたね。本当によく立ち直れたものだと感心します。
 先述したように、人付き合いが不器用で下手な私は、インターネット上のやりとりで疲弊してしまいました。ましてやその当時は、一年と九か月の職場で、仕事の人間関係に摩耗していた中でのことでしたから、余計に心に突き刺さりました。
 更にその後、契約期間が満了して就職活動の再開をしなければならず、モチベーションは下がる一方。内向的な性格もあり、考えることも次第に暗くなっていき、負の感情ばかりが大きくなりました。陰鬱な気分をSNSに書くことで紛らわせていても、思い出しては苛立ちと怒り、悲しみばかりが大きくなり、愚痴を書かずにはいられませんでした。
 強気になれない自分への悔しさと相手への理不尽さで、心が黒く染まっていくのです。色に例えるのならば、あの嵐の前に見える灰のような黒のような、光も通さない分厚い雲に覆われた空…あの空の色。新築の傷一つない綺麗な壁も透明の窓硝子も古ぼけて見えるし、明るい赤や青に彩られた屋根も、道端に植わっている街路樹も、全てが色褪せて見える恐ろしい色です。
 何処かに吐き出したくて仕方なくて、インターネットで吐き出して、時には身内に当たったりして…愚痴ばかり書き連ねていたところで、私は我に帰りました。
 こんな汚い言葉を書き続けて、何になるのだろう。心は黒いまま、思考も停止しているし、日常生活でも碌に会話が出来る状況でもない。仕事の支障になるくらいならやめればいいのではないか。
 どうせ私が趣味でやっているものだ、今更、誰も引き止めやしない…いや、やめなければ私が壊れてしまうではないか。なら、やめればいいではないか。そうだ、やめようと。
 そう思って最初に辞めたのは、SNSの方でした。インターネット上の付き合いしかないのだからと、アカウントを削除して距離を置きました。お世話になった方に、お礼の一言も言わないまま。
 それだけではないのです。腹の虫が収まらなかった私は、ついに自分の行ってきた全てを否定し続けました。好きなものを根底から否定的に見続けて、粗を探しては非難して、やりようの無い怒りや悲しみをそこにぶつけていたのです。
 いくら言い訳をしたところで、礼節を欠いた行為であることに変わりありません。失礼なことだと、無駄なことだと分かったのは、人との交流を絶ってから一年を過ぎてのことでした。
 閉じこもって好きなことを書こうと決めていたブログは、品の無い暴言の泥に塗れていました。批難の声が怖いと殻の中に閉じこもっていた、私自身の言葉でした。
 なんて醜い文字の羅列なのだろう。思えば私はただ、人の創作物を私物化して妄想した挙句に我儘を言っているだけだった…小説家気取って書き続けて、何をやっているんだろう…。
 そこにはかつての情熱も無く、無垢な意欲もありません。ただただ悲しく、虚しいだけでした。
 そうして小説を書き続けて十六年、私は初めて筆を置いたのです。
 それまでに挫折が無いかと問われれば、ありました。けれども筆を置くことはありませんでした。公表せずとも私はずっと何かを書き続けていたのです、誰に何を言われても。それが私の生き甲斐でした。所詮は他人の真似事です、素人の遊びです、それでも私の中にある『書きたい』という叫びは、常に私の心を揺らし続けていました。
 インターネットから自分の存在を消し去ったあの時、私の心は正反対のことを叫び続けていました。何も書きたくなかったのです。何も見たくなかったのです。あんなにも愛し続けていたメモ帳の白紙が、私にはひどく恐ろしいものに思えたのです。
 何か文字を書いていこうと思うと、そこに悪魔が現れて私を責めます。
 全て私のせいだと。人間関係の構築が下手で、私が他人に物を言えなかったから。他人の顔色を窺って、他人の目を気にして生きてきたから。現状を招いたのは誰でもないお前自身だと。
 そう私の傷を抉って、再び燃え上がろうとする『書きたい』という意思を、立ち上がろうとする心を妨げていくのです。私の甘さが招いたのだと頭では理解していても、心が拒絶して書くことを諦めさせるのです。
 これを書いている今もそうです、私の心には様々な音が聞こえます。
 漸く立ち向かっているのだという希望の音。どうせお前はまた筆を置くのだという嘲笑の音。支えてくれた人さえも捨てたのだという批難の音。また絶望に打ちのめされることを恐れる音。平凡と安楽を求める怠惰の音。
 かつて私が作品の中で、大切な人を救う行いに躊躇した主人公を詰ったように、悪魔が囁いて奏でるのです。お前には無理だと、諦めろと。あいつを忘れて平凡な余生を過ごすのも悪くないと。
 無理なものかと立ち上がろうとする私を、ことごとく責めるのです。正解など無い不毛な道を、お前のような軟弱者が歩いて行くのは無理だと。今でも正解を求めて暗中模索を続けているようなお前には、最初から灯台が照らしてくれている道がお似合いだと。
 ええ、私は弱いのです、私は脆いのです。好きなものに立ち向かう勇気すら持てなかったのです。今、立ち向かったところで何になるのでしょう。草の一つも生えない荒れ野原を、耕していくことなど、どうせ私には無理でしょう。諦めなさい、諦めて事務員として平々凡々とした生活を送りなさい。
 どうせこの原稿を読んでいる人も、私のことをただの甘ちゃんと笑うでしょう。自分の夢を他人から否定されただけで諦めるような、生産性の無いありきたりな事務職にさえ文句を呟いているような女だと言って。世間知らずな女だ、他の職を探すことさえ考えないのかと嘲るでしょう。
 ですが私には、もうどうにも出来ないのです。この『書く』と言う行為が染みついた私の体は、他に何か行おうとすると拒むのです。書類整理もデータ入力も、決して無意味なことではないはずなのに、私の頭の中には無駄なことと記録されているようで、覚える気にならないのです。
 私がつらくてやめたいのはどちらでしょうか。書くことですか。事務職ですか。
 いいえ、私は書くことを辞めたくありません。かつて他人から自分の好みを否定されたからと辞めたのに、たったそれだけで今まで積み上げてきたものを全て壊してきたのに、それでも書くことを辞めたくないのです。
 私にとって『書く』ということは、人生そのものなのです。紙という紙を使い、パソコンを所持してからはメモ帳というアプリケーションと共に生きてきました。頭に情景を思い描いては時に笑い、涙を流して、分からないことがあれば調べ続けて、時間さえも忘れる程に向き合って、思いの丈をぶつけてきました。
 私が最も私らしくいられるのは、愛する家族の前でもなくこのメモ帳の前だけです。だから私は貴方に、文を書いたのです。正直に告白したのです、私の全てを。
 思えば、本当の意味で向き合ったことなど、ただの一度も無かった気がします。最初に作家になる夢を捨てたと言いつつ、本当は諦めきれずにふらふらと彷徨っている上、否定し続けたのです。そして正解が何なのか、膨大な時間を使ってずっと探り続けていましたね。その行いこそ無駄なことだと、気付いたのはつい最近です。
 さて、話がくどくなりました。書いている私は勿論、読んでいる貴方も、そろそろ飽きてくる頃でしょう。ええ、飽きるようなら本当に好きではないと皆、口を揃えて言いますが、私は嘘だと思っています。人間の脳はそこまで上手に出来ていません、同じことの繰り返しにはいつか飽きがきます。そう言い聞かせることで奮起しているのだと、私はそう解釈しています。
 筆を走らせている私。何が正しくて何が間違っているのか、他人の情報ばかり目にしたがっている私。頭が悪くて要領も悪い、人よりも下の下の私。
 貴方が胸を張れることは何ですか。貴方の夢はなんですか。貴方の仕事は何ですか。本当に願っている私の姿は、何処にあるのですか。
 メモ帳に何度も何度も打ち続け、文字を綴っている今この瞬間こそ、最も幸せな時間ではありませんか。推敲を重ねて重ねて、書き上げた時の達成感を噛み締める私こそ、最も胸を張れる姿ではありませんか。
 人の言葉に涙を流して一度、筆を置いた私へ。どうかもうその筆を、離さないでください。筆を置かせようとする他人の言葉に、負けないでください。夢の前に強くあろうとしてください。
 ある音楽家の言葉に突き動かされ、再び筆を手に取った私へ。失敗を恐れてばかりで二の足を踏んでいる私の背中を、どうぞ押してあげてください。夢から逃れたくて仕方ない私の手を、しっかり掴んでいてください。その手を離してはならないと涙を拭ってあげてください。
 私の人生の半分以上を共に生きているメモ帳へ。忘れたい記憶と共にしまいこんでごめんなさい。ずっと向き合えなくてごめんなさい。Wordを使わざるを得ない場面も出てきましたが、どんなに便利なソフトがたくさん出てきても、私はシンプルな貴方が好きなのです。
 私は貴方に当たり散らすでしょう。好き勝手に書き、泣いたり怒ったり様々な感情をぶつけるでしょう。貴方の真っ白な面に、再び恐怖することもあるでしょう。それでも私はやはり、貴方が好きなのです。今やパソコンで作業する私には、貴方しかいないのです。虫の良い話かもしれませんが、どうかこれからも私を支えてください。
 そして、この原稿を読んでいる皆様へ。貴重な時間を割いて見てくださった貴方の心に、響くものがあったでしょうか。それとも甘ちゃんの戯言と、一笑に付すものだったでしょうか。
 無知無学な私の拙い言葉ですが、それでも私が書こうと思ったのは、伝えたかったからです。世間一般には軽くあしらわれてしまうようなことですが、悩んでいるのは貴方一人ではないと。誰かを引っ張る道標にはならなくても、荒んだ心に寄り添える少しの燈火になりたかったのです。私の心を含めて。
 それでは、さようなら。また別のところで、会えたら会いましょう。